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052 見捨てない為の決断

last update Last Updated: 2025-05-19 19:00:06

 管理棟に入ってからも、大地の興奮は治まらなかった。壁に頭をぶつけ、ボールペンで喉を刺そうとした。

 そんな状態に管理人は、大地の入院を勧めた。

「それってつまり……そういう病院、ということでしょうか」

「はい、そうなります」

「……」

「確かに入院となると、抵抗があるかもしれません。ですが勿論、プライバシーは守られます」

「海さん、遅れました」

 海の連絡を受けた浩正〈ひろまさ〉が入ってきた。

「ご家族の方ですか」

「兄です」

 浩正が間髪入れずに答える。

「それでしたら……先程の話、お兄さんにも相談してみてください」

 管理人にそう言われ、海は浩正に経緯を説明した。

「そうですか……」

 浩正の目に、錯乱する大地が映る。

「海さん。どうされますか」

「私は……」

 浩正の問いに答えられなかった。

 今、どうすることが一番いいのか、判断することが出来なかった。

「最終的には海さん、あなたの決断になります」

「そう……ですね……」

「入院となれば最低でも一か月、症状が長引けば数か月になるかもしれません。それに実際の話、回復するかどうかも分かりません」

「……」

 海にとって未知の世界。そういう病院があることは知っていたが、これまで関わったことはなかった。

 しかし今、その決断をしろと言われている。どうするべきなのか、どの選択がいいのか分からなかった。

「今の大地くんの状態を見ていると、家に連れ帰ったとしてもすぐ、こういう行動に出ると思います。そうすればまた、こうして探すことになってしまいます。それに今の大地くんを見ていると……」

 そう言っ

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